2007年3月15日木曜日

音楽・・・・

応募時に書いた、これまでに見た夢の話に音楽をつけて朗読するのが明日の課題だったりする。

で、今回も応募した夢の話を公開
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そのころ俺は大学院生で研究室で実験をしていた。人事権を持つ教授は俺の所属する研究グループにいい感情を持っておらず、研究の完成を見ない誰かが外部に出向しては新たな大学院生が補充されるという研究内容の一貫性が取れない状況が続いていた。
2002年3月24日。三ヵ月後に結婚式を控える俺は、共同研究を行ってる施設のK所長から呼び出された。
「先生、来月からうちで働いてくれるんやって?さっき教授から君が希望してるって連絡があったよ。」
「え?」
希望もしていなければ、聞いてもいない。第一こんな結婚だなんだと追い込みの時期に予想外の転勤なんて希望するわけがない。来月って来週じゃねえか。翌日教授室へ直談判に行ったが、不毛な言い訳ばかりだった。
そんな転勤の話は半年に一回のペースで沸いてきたが、教授以外の誰の意思でもなく浮き上がる話のため普通なら教授の命令は絶対とかいう話で俺の身柄はどこかへ放り出されているのだろうけど、そんなこと知ったことでない俺は徹底的に抵抗した。いつ本当に放り出されるのか不安になり、出血性胃潰瘍で吐血までしてしまった。意外に神経が細かった。

2003年秋、自衛隊のサマワ派遣が決定した頃だ。
「先生、ちょっと悪いけど用事があるんや。来てくれへんか?」
ちょっと、ちょっと・・・ちょっとという言葉ほどちょっとでない表現は無い。拒否ばかりしているからついに強権発動かと、もはやこれまでかと無念の気持ちで研究棟の12階へ行った。
「失礼します。」
「ああ、先生呼び出して悪かったなあ。奥さん元気にしてるか?」
「ええ、特に変わりはないです」
「いや、奥さんにも悪いんやけどな・・・・
(なんや、もったいぶるなよな)
先生、ちょっとなあ今度イラクに行ってきてくれへんか?」
おいおい、ちょっとってコンビニにおにぎり買いに行くような用事じゃねえだろ。
「いやな、もうこのことは教授会でも既に決まったことなんや。先生これまでの転勤の話全部断ってきたやろ。僕ももうこれ以上先生のこと庇ってられへんのや。」
目の前にフセインの倒れた像が落ちてきた。背中にテロリストのマシンガンを突きつけられた。彼方で爆音が聞こえる。爆音?爆音と言うか、電子音?ビックカメラのCMで鳴ってるポケベルの音?あ?
先に起きた妻がつけたテレビが、おはよう朝日ですの宮根さんの声を流していた。
・・・・むちゃリアルな夢やんけ。
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アホかと言われるようなBGMを付けたいが、どうも小手先で終わりそうだ。
選曲内容は、また後日。

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